脳腫瘍の治療を終えて退院してから今年で6年目。
(あ、今回ちょいと暗めな話かもなのでご容赦くださいなm(_ _)m)
表向きではトントン拍子に事が進んで
順風満帆であることには変わりないけれども
心の中ではいろんな葛藤がありました。
特にこの場で打ち明けようと思うのは
対人関係ですね。
退院してみてまず最初に感じたのは
人と話すのに怯えるようになってたこと。
それもしばらく会ってない友人や親戚、知人
その他、家に配送に来る宅配の人の対応までも
やたらと体が力むようになってました。
いざ声を出して話そうと思うも
声が震えたり、早口になり噛み噛みになったりと…
退院から半年後ぐらいに
近所のカフェでバイトをし始めたのですが
まぁ普通に接客のクオリティはズタボロですよねw
店に入って来るお客さん目の前にして脚がガタガタ震えて
ショットを作るのにコーヒー豆を圧縮する作業でも腕がガタガタガタガタ…
お会計してお釣りを返す時の手も
ガタガタガタガタ…笑
そんな店員が変な目で見られるのは十分頷けるわけです。
リハビリのためと思いせっかく入ったバイトも
そんなに長くは続かなかったですねぇ…
仕事覚えるのも遅かったし
仕事自体も遅くて周りのスタッフに迷惑かけっぱで
ダメダメでした^^
久しぶりに友人たちと再会もしたりして
ご飯を一緒に食べたりして話し合ったりしましたが
どこかなんとなく昔と違う気がする。
一人が面白いこと言って残りのもう二人がゲラゲラ笑ってても
なぜだか僕は笑ってないという。
ありゃ。これは一体何なんだ。
一緒に笑い合った思い出もあるのに
なぜだか笑わない、というか、笑えない。
虚無感というか、ぽっかり何かが空いてる感覚でした。
結局そんな自分なので周りからは
「変わっちまったな。」
と言われるのもごく自然なことです。
そうか、俺は変わっちまったのかと
性格が元々クソ真面目な部分もあり
面白い事にこれがまた真に受けるんです笑
そこからしばらく時間が経ち場面は変わります。
さぁ、整体の仕事に就いたのでいざ資格でも取るかと
鍼灸の学校に入学。
当時言われた言葉を思い出し
じゃ、ここで一挙自分を変えてみるか!
と意を決して学校行事に参加して
学園祭のクラス長になってみんなを引っ張るイケイケキャラを装うも
結果的に大ブーメランを食らい
僕の薄っぺらい人生上ワーストの大失敗に終わりました( ̄▽ ̄)
建前上学園祭後にはクラスで打ち上げの飲み会を開いたわけですが
もうあっちこっちで酒に酔ったみんなが誰とは口に出さずとも
誰かの愚痴で盛り上がってるわけですね。
テーブルの上に組んだ腕の中に僕の頭はありじっとしてました。
情けながらも目には典型的な汗が滲んでたような気がします☆
その日を境に大分気持ちはダークになり
多分死んだ魚の眼をしばらくしてたんじゃないかなぁ…
僕的には悲しさに加え悔しさが入り混じった感覚で
何がこうさせたのだろうと、そこから日々疑問に入り浸る毎日でしたね。
ぶっちゃけそれ以降はクラスのみんなとも
あまり話さなくなりましたね。
もちろん、話しかけられれば話しますけど、
自分からはあまり。
陰口を言われるのにも段々と慣れてはきましたが
次第に僕の中でこんな思いが回り始めたのです。
「ひょっとしたら俺はどこかおかしいのか?」と。
誰かに話せるわけでもなく、今では手元から
ネットに繋げる時代なので色々調べました。
調べれば自分に当てはまる精神的な症状とか
いくつかあったり僕と似たような経験をしてる人が居るなど
そんな情報発信をしてる人のメディアに出会えて
直接ではないですけど色々と助けられましたね。
ほんと、そのサイトに辿り着いてなかったら
今こんな前向きになってませんもん。
ここまでダラダラ過去の出来事綴ってきましたが
なぜそんな事になったのかって結局は自分が原因だった訳ですね。
だろうなって思うのか
そこかよって思うのか
感じ方によって人それぞれですが
僕は後者でした。
何事も自らの思考と選択の結果によって導かれてる。
この言葉、自分への戒めな気がしました。
葛藤と感じてたものが実は
単に自分が葛藤だと思い込んでた事だったのです。
これもマザーテレサの有名な’’思考は賜物’’にも繋がるのでしょうね。
金子みすゞさんの’’みんなちがってみんないい’’
小学生の頃国語で読んだの思い出しました。
誰かと違ったって気にすることはない。
それは自分の良さだ!
今回の記事、僕自身に言ってるのかもしれません笑
また!
