無事にアメリカでの治療が終わり、
いよいよ日本へ向かう飛行機に乗ります!
しかし、抗がん剤の影響で時間と共に免疫力は徐々に下がってる状態で、
入院中95%ぐらいは寝たきりだったのでとてもじゃないけど
立って歩くことは至難の技でしたので、
空港までの『足』は病院から出てる救急車に乗せてもらいました。(母も同乗)
空港に着いてからは空港内で貸し出ししている車椅子を利用して
必ず後ろには着き添う人が居なきゃ移動できない状態でした。
早速飛行機に乗り、離着陸時の気圧の変動が脳に悪影響が来ないか心配でしたけど
そこは問題なくクリアできました。
実はカイザー病院で渡されたステロイドの内服薬をドクターから
「日本の病院に入院するまで定期的に飲むように」
と言われたのでその通りにしていました。
効能としては飲んでからすぐに、
ひったすら食欲旺盛状態…!!!!
に陥ってしまい、機内食の他におやつをキャビンアテンダントさんに
何回もずっと要求してました…><;
口に入れたものは体外へ排出されますから
機内ではトイレと仲良しでした笑
しまいには血便が出るまで便所と座席行ったりきたりでしたね…汗
抗がん剤で食欲不振と、
前から伝えてる通り免疫が下がってるので、
せめて食事でそれらを補おうというのが薬の目的ですね。
(ステロイド薬をしばらく飲んでいると身体中に発疹が出てきて痒かった覚えがあります…)
長い長いフライトもやっと日本へ到着し、
その日は父が空港まで車で迎えに来てくれました。
久々に帰ってきた日本、そして家。
短い間に色々なストーリー展開があったので、
身体はもう疲れ切り、その夜はぐっすり眠れました( ´Д`)
そしてあっという間に朝が来て、
新しい病院へ初診を受けに行きました。
(事前に両親がどこの病院にするのか迷いに迷って決めてくれていました)
そこが
東京女子医科大学病院
です。
なぜここを選んだのかというと…
両親がネットで松果体腫瘍の治療経験が豊富な医師を探していたら
堀 智勝 先生
という方を見つけたらしく
その先生に相談してよさそうだったら治療をお願いしようということでした。
堀先生が勤務する病院に血液検査をした後に
診察を受けに行ったのですが、
どうやら私の腫瘍のケースだと東京女子医大病院で受けた方がいい
との事でした。
その理由は、
女子医に堀先生の弟子がいて、その先生が松果体腫瘍のオペ経験、治療方針に優れているから
でした。
堀先生から推薦状をいただき
早速女子医へ診察を受けに行きます。
当然ここでも採血をして血液検査を行います。
MRI検査も行い外来待合にて数時間待機…
女子医へ来て思ったのが、
でけえなぁ…
でした。
そうこう待ってる間に私が呼ばれ
あの先生と初めてお会いします。
藍原 康雄 先生
です。
検査結果を見ながら先生が放つ一言一言が
僕にグサッ…、グサッ…、グサッ…と突き刺さる様に重くのしかかります。
ざっくり話をまとめると…
-松果体部混合性杯細胞腫瘍-(正式な病名)
・私の腫瘍は松果体腫瘍の中でも非常に悪性度が強い
・悪性度を示す腫瘍マーカー(特にHCG、AFPというマーカー)
が基準値を桁違いに越している
・これだけ悪性度が高いと治療の段階で腫瘍が反発する形で大きくなる可能性大
・数十万人に一人がかかるかかからないかの病気だという事を理解してほしい。
という内容でした。
そして先生がMRIの画像と腫瘍マーカーの値を見せてくれて
本来なら悪性といっても
HCG、AFPが高くて2ケタいくかいかないぐらいと言ってたので、
私のは相当毒を持ってるのが分かります。
この時は、現実を突きつけられると同時に
俺ってもしかしたらこの先…という怖さで目から汗が出ていました…。
今思い出すだけでもちょっとだけグッとくるものがあります笑
まあ、振り返れば先生は一秒たりともほっといてはいけない
っていうのを伝えたかったんだと思います。
その時現実は辛く感じブルブル震える日々でしたけど、
家族、友人その他知人のサポートもあり
なんとか耐え抜いていこうという気にはなれました。
次回はいよいよ
女子医大に入院します。
長いのにご閲覧ありがとうございました。
藍原先生は本当にいい先生です。感謝しても仕切れないほどに、、、
辛いとは思いますが、治療頑張って下さい
コメントありがとうございます!
おかげさまでここまで乗り越える事が出来ているので、
藍原先生には一生頭が上がらない程の感謝の気持ちですm(_ _)m